今回は原点にして頂点のバトル漫画、ドラゴンボールの感想を書いていきます。
ドラゴンボールと言えば、知らない人を探す方が難しいというくら有名な漫画ですね。
では、なんで今更ドラゴンボールの感想を書くのかというと、超の存在があります。
ドラゴンボールは物凄く面白かったのに、どうしてドラゴンボール超が面白くないのか、ということで比較する形で感想を書いていきます。
最初に結果を書いておくと、言うまでもなくお勧めです。
おそらく、世代を関係なくお勧めできるある意味珍しい作品でしょう。
それでは感想を書いていきたいと思います。
ドクタースランプアラレちゃんの次の作品として始まったのがドラゴンボールです。
主人公の名前が孫悟空ということでわかると通り、最初は西遊記をモチーフとした旅ものでした。
ドラゴンボールという7つ集めると願いが叶うというボールを集めるために世界中を旅するというストーリーですね。
ただ、この路線はあまり人気が出なかったのか、早々に7つ揃いつまらない願いを叶えて終わるという結末です。
そして、その後、旅の途中で出会った亀仙人のところへ修行に行くところから、本格的なバトルものへとシフトチェンジしていきます。
それでも、最初の頃はギャグの方が割と主体で、世界を救うというより単に強い奴と戦うという流れでした。
最初の天下一武闘会なんかは、普通の武術大会なのでそこまで緊迫感はありませんでした。
その後のレッドリボン軍との戦いから、キャラクターで死者が出て、そのキャラをドラゴンボールで生き返らせるという緊迫感が高まっていく展開でした。
その後のピッコロ大魔王戦から、仲間たちが次々と死んでいき、世界の危機を救うという展開へとドンドン緊迫感が高まっていく展開へと進んでいきます。
悟空が大人になり、子供ができたラディッツ戦から地球そのものの危機というのがストーリーの中心になっていきます。
ドラゴンボール超の感想の方でも書かせてもらったのですが、バトルものの楽しさ、面白さはやっぱり『緊迫感』だと思います。
ここでドラゴンボールとドラゴンボール超の違いの例を挙げてみましょう。
ドラゴンボールでは、ラディッツを倒した後にそれ以上に強い敵であるサイヤ人がやってくるということで、全く戦闘経験がなかった悟飯をピッコロが育てるという展開がありました。
今は弱く、子供だったとしても地球を守るために育てるという流れです。
ピッコロからしたらライバルの息子で、将来自分の敵となるかもしれない人間を、地球の危機を回避するために育てます。
それくらい、必死というのがうかがえます。
では、次にドラゴンボール超を見てみましょう。
宇宙サバイバル編の話です。
銀河の危機ということで、戦える戦士を揃えるという展開です。
負ければ地球はおろか、銀河自体が消滅するという話です。
規模的にいうと、ベジータ襲来よりも危機度は高いです。
ですが、ドラゴンボール超では、悟天とトランクスを「子供」だという理由だけで選手から外します。
そして、よりによって亀仙人を入れるという、意味不明な展開です。
確かに、子供に対して銀河の危機をその肩に背負うというのは厳しいかもしれません。
ですが、負けたら消されるんですよ?
それなら、子供だろうがなんだろうが、使える最大の戦力を揃えるのは当然じゃないでしょうか。
そして、既に死んでいるフリーザを復活までさせているんです。
この辺の必死さのレベルが本当によくわかりません。
「子供だから」という理由で悟天とトランクスを外す時点で、危機感が全く感じられません。
魔人ブウ編で、最後の希望としてブウと戦わせていましたよね?
なんでここで外すのか意味がわかりません。
もう一つ危機感の話をすると、それぞれのシリーズのボス戦です。
ドラゴンボールでは悟空が仲間の中で一番強く、悟空が負ければ打つ手がなしで終わりという危機感がありました。
なので、悟空が「勝てない」となると緊迫感が一気に増します。
ですがドラゴンボール超はどうでしょうか?
悟空たちよりも強いビルスやウィス、果ては全王という存在が悟空の味方側にいます。
こんな状態では例え悟空が負けたとしても、ビルスやウィスたちが助けてくれるのではないだろうかと思ってしまいます。
実際に、全王が敵を倒してしまうという全てをぶち壊す展開をやってしまうという暴挙まで行ってしまいます。
正直、これは「この手があったか」にはならないんですよね。
そもそも、ドラゴンボールはそんな漫画じゃありませんから。
ちゃんと悟空が自分の力で何とか敵を倒していくのが面白いんですよね。
次にキャラクターの格好良さです。
ドラゴンボールのキャラクターはみんな、それぞれ誇り高く、必死に戦っています。
全員が全員、格好良かったんですよね。
……ただ、魔人ブウ編で、若干、ギャグ路線に入り、ピッコロのキャラが壊れるということはありましたが、まだ許容できる範囲のギャグでした。
何より格好良かったのがベジータという存在です。
王子ということでプライドが高く、一匹狼というキャラクターです。
確かに、そのプライドの高さから愚策を何度もやってしまいますが、それはあくまでプライドの高さから犯したものだとわかります。
ですが、ドラゴンボール超ではこの格好いいベジータがぶっ壊れました。
ビルスのご機嫌を取るためにバカみたいな踊りを披露したり、やたらとブルマ好きを全面に推し、デレデレです。
正直気持ち悪いです。
あの格好いいベジータはどこに行ったのでしょうか。
ドラゴンボール超でのベジータは格好悪く描かれているのが、本当に許せません。
また、ベジータだけではなく、ほとんどのキャラクターの性格が崩壊しています。
本当にドラゴンボールの続編なのかと疑うほどです。
致命傷なのが悟空です。
ドラゴンボールの悟空は純粋で世間知らずでお人よしで天然というところがありました。
ですが、戦いに対しては真剣で、単に強い奴と戦いたいというのがありますが、基本的には「守るため」の「負けないため」の戦いをする、格好いいキャラクターとして描かれていました。
ですが、ドラゴンボール超での悟空はどうでしょうか。
正直にいうと、単に頭の悪い馬鹿なキャラクターにしか見えません。
地球を守ることよりも、強い奴と戦う方を優先するクズ野郎に落ちてしまってます。
挙句の果てには勝てないとなると、平気で他人を宛てにします。
ゴクウブラック戦では、倒すことを諦め、封じ込める魔封破を習得しようとします。
逆にベジータの方はさらなる強さを目指します。
いや、違うでしょう!
せめて逆ですよね。悟空は強さを求める方に行ってほしかったです。
最後にバトルの展開についてを書かせていただきます。
ドラゴンボールではボス以外にも中ボス的な存在がいて、その中ボスに苦戦しながらも仲間たちが戦っていくという展開です。
つまり、中ボスも魅力的で、その中ボスを悟空が倒すということで一気に盛り上げる展開です。
中ボスにも勝てなさそうなのに、ボスはどうやって倒すの?という『緊迫感』が出ます。
この辺の作り方は、本当に上手いと思います。
ちゃんと悟空を立てていて、悟空の強さを見せておき、さらにその悟空よりも敵が強いという見せ方は何度見ても秀逸だと思います。
変わってドラゴンボール超はどうでしょうか。
ボスが絶対的に強いというのがありますが、中ボス的な存在の魅力が乏しいです。
仲間たちでも十分に倒せるというレベルの中ボスです。
中ボスがあっさりと倒されていくので、ボスが戦わなくては盛り上がりません。
なので、すぐにボスと悟空戦に突入していきます。
何度かシーソーゲームをしますが、それでも引き延ばしには限界があり、1~2巻くらいで決着がついてしまいます。
なので、ドラゴンボール超は、1つのシリーズが短く感じるんですよね。
壮大な物語ではなく、ショートエピソードに近い感覚がします。
いわゆる映画のドラゴンボール的な感じがします。
(映画のほうが緊迫感がありますが。。。)
なので、〇〇編が終わっても、あんまり印象が残らず、もう終わったんだという感じになります。
何でしょうかね。
キャラ作成があまりできないんですかね。
頑張ってボスキャラは作っている感じはするのですが、脇を固める中ボスの存在がどうしても足りないような気がします。
ドラゴンボール超を読んでいて、まだドラゴンボールを読んでいないというのであれば、是非、読んでいただきたいです。
色々と比べて読んでみるのも面白いかもしれません。
それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。